「女子高生ミスコン2022」でグランプリ受賞! 周南市出身のスーパー女子高生。
2006年、周南市生まれ。株式会社エイチジェイ主催「女子高生ミスコン2022」にて山口県初となるグランプリを獲得(応募総数約2万人)。現在は、株式会社LUVに所属し、地元の高校に通いながら、タレントとしても活動。「TGC teen 2022 Tokyo」、「TGC teen ICHINOSEKI 2023」などのイベントやバラエティー番組への出演、各種広告でモデルを務めるなど、周南市と首都圏を行ったり来たりする多忙な日々を送る。山口県での活動は、レノファ山口のホームゲームの場内レポーターや地元のイベント等へのゲスト出演など。特技は歌で趣味は映画・ドラマ鑑賞。最近はゾンビ系にハマっているとか。乃木坂46の井上和さんに憧れ、高校では弓道部に所属。
今回お話をうかがったのは、「女子高生ミスコン2022」でグランプリを受賞した村谷美奏さん。2015年に女子高生ミスコンが始まって以来、山口県では初のグランプリに輝いた今話題の女子高生です。
カラコン(カラーコンタクト)が欲しくてミスコンにエントリー
毎年全国から約2万人の女子高生がエントリーし、これまで数多くのスターを輩出してきた「女子高生ミスコン」で、山口県初のグランプリという快挙を成し遂げた村谷さん。ミスコンに応募したきっかけを尋ねると、「エントリーするだけでカラコンがもらえるので…」と驚きの返答が。なんと「一度カラコンを試してみたい」という好奇心からの応募で、当初、グランプリ受賞はおろか、書類審査を通過するとも思っていなかったそう。
そんな村谷さんですが、1次審査の書類選考も2次審査の面接も見事通過。その後、3次のSNS審査、4次のセミファイナル審査も突破し、気づけばグランプリを決めるファイナル審査に進出。なんと約2万人からファイナリストに選出されたのは、わずか15名だったそうです。
「3次のSNS審査は、スマホのアプリを使って動画投稿やライブ配信をしてファンを増やしていくのですが、これが結構大変で…。私の場合は20時〜22時くらいまでほぼ毎日ライブ配信をしたんです。でもここで、応援してくださるファンのみなさんの温かさを知り、たくさんの励ましの言葉をいただきました。」
村谷さんはこれまで経験のなかったライブ配信に懸命に取り組んだことを振り返り、ファンとの交流が楽しかったと話してくれました。その気取らないやわらかな雰囲気は村谷さんの魅力の一つ。ファイナリストに選ばれた理由がわかった気がします。
初めての本格ダイエットは、目標があるから頑張れた
ミスコンのためにさまざまな努力を重ねた村谷さんですが、ファイナリスト全員で望む強化合宿「週末レッスン」に向けて取り組んだダイエットが、中でも一番辛かったそうです。
「週末レッスンがスタートする前の1ヵ月半くらいの間はダイエットの日々。もちろん、健康的なダイエットですよ。ただ、甘いものを一切禁止にしていたので、それがかなり辛かったです。甘いもの大好きなんです!」
その間は学校の部活動もお休みし、とにかく全力で週末レッスンに向けて励んでいたそう。
「部活を終えて帰ると夕食が20時を過ぎてしまうので、お休みせざるを得ませんでした。でも仲間たちも先生も応援してくれ、すごくありがたかったですね。帰宅後は、軽い運動をしたり、ストレッチをしたり…。お腹が空いたら他の人が食べ物を食べている動画を見て、想像で空腹をしのいでいました(笑)。」
ところが、いざ週末レッスンがスタートすると、これまでのダイエットはまだまだ楽な方だったと痛感したそう。ファイナリスト全員で挑んだレッスンは、それはもう厳しかったといいます。
「週末レッスンは約2ヵ月間、受賞者発表イベントまでの毎週土日に東京で行われます。ダンスやヴォーカル、演技、ウォーキングといったレッスンのほか、実践的な撮影やイベント参加など内容は盛りだくさん。最初はついていくのが大変でした。」
しかし、ファイナリストに選ばれ、仲間たちと切磋琢磨するうちに、村谷さんの気持ちは大きく変わっていきました。
「真剣に取り組む仲間たちの姿もいい刺激となり、いつの間にか『ここまで来たからには頑張ろう』と思うようになっていたんです。」
大好きな歌だけは誰にも譲りたくない!
歌うことが大好きという村谷さんは、レッスンの中でも特にヴォーカルだけは誰にもトップを譲りたくなかったそう。審査に使われる課題曲は未発表の完全オリジナル。通学途中や東京への行き来など、移動中はひたすら聴き続け、とにかく覚えることに徹したそうです。
「頑張ったかいあって、ヴォーカルはメインを勝ち取りました。ただ、メインだとダンスでもセンターに立つことが多いので、嬉しさの反面、覚悟も必要でした。」
課題曲は、ヴォーカル+ダンスというスタイルで、全員で仕上げていきます。ヴォーカルは、メインとサブ、そのほかに分かれ、メインボーカルに選ばれた村谷さんは、必然的にセンターや前面の目立つ場所にいることが多かったのだそうです。
「周りはみんなダンス経験者で、私は昔2年間ほどバレエをやっていただけ。最初は『やばい、やばい…!』ってとにかく焦っていました。でも、苦手を克服するため、山口で過ごす平日も、東京でレッスンを受ける土日も、毎日欠かさずダンスの練習をしました。今でもよく頑張ったなって思います。」
ファイナル審査に向けて、突き進む村谷さん。周りの反応はどうだったのでしょう?
家族や友だち、学校の応援が大きな励みに!
実は村谷さん、女子高生ミスコンに応募することは、家族とごく一部の親しい友人にしか伝えていなかったそう。けれども、各ブロックの代表がニュースで発表され、その事実は明らかに。
「落選したときのことを思って、ほとんど誰にも伝えていなかったのに、ニュースが流れるとあっという間に広まってしまいました。でも、家族はもちろんですが、友だちも学校も応援してくれて、『もっと頑張ろう!』という気持ちにつながりました。」
ただし、家族でただ一人、父親にはミスコンのことがなかなか伝えられなかったといいます。
「父なら子どものやりたいことを絶対に応援してくれるとわかってはいましたが、芸能界となるとやっぱり心配するだろうなと思って、なかなか言い出せませんでした。今も応援したい気持ちより、心配の方が大きいようです。『見ちゃったら美奏が遠い存在になっちゃう気がして』って出演したテレビ番組も見てくれないんですよ(笑)。」
「そうは言っても、きっと録画してこっそり見てますよ」と返すと、村谷さんは照れくさそうに、けれども嬉しそうに笑っていました。
「なんで私!?」。ただただ驚いたグランプリ発表
グランプリを受賞した瞬間の感想をうかがうと、「とにかくびっくりした」と答えてくれた村谷さん。実は、村谷さんの中で「グランプリはぜったいにこの子!」というメンバーがいたそうです。
「その子の名前が別の賞で発表された時、正直、『え?! じゃあグランプリは誰なの???』と思いました。まさか自分が選ばれるなんて全く考えていなかったので、名前が呼ばれたときは喜びよりも、一瞬『なんで私!?』っていう気持ちの方が勝ってしまいました(笑)。」
しかし、周りの歓声や一緒に頑張ってきた仲間たちからの祝福の声を聞き、少しずつグランプリ受賞の実感がわいてくると、ステージ上で思わず涙ぐんでしまったそうです。
「コンテストの期間中は、楽しいばかりじゃなく、苦しかったことも、悩んだこともありました。これまでの日々を思い出し、自分を信じて頑張ってきて良かったな、努力が実ったんだなとそんなことを考えていたら、自然と涙があふれていました。」
実は以前、村谷さんは乃木坂46のオーディションで最終審査まで残った経験がありましたが、その時は乃木坂46の大ファンという理由でエントリーしたため、芸能界を意識してはいなかったそうです。
「今は女優さんもやってみたいし、モデルさんもやってみたい。歌も歌いたい。憧れの山下美月さん(乃木坂46)みたいになりたいと、私の中で夢がどんどん広がっていっています。」
周南市と東京を行き来する現在。夢は少しずつカタチに
グランプリ受賞後、タレントとして活動を始めた村谷さん。仕事で東京に行くことはありますが、拠点は周南市で、普段はこれまでどおり高校に通います。
「グランプリ受賞を知り、家族からも友だちからもたくさんの『おめでとう!』の言葉をもらいました。最近では地元でのお仕事も徐々に増え、応援してくれたみんなに頑張っている姿を見てもらえるのがとても嬉しいです。」
「TGC teen 2022 Tokyo」や「TGC teen ICHINOSEKI 2023」などのイベントやバラエティー番組への出演、広告のモデルなど、少しずつ経験を重ねている村谷さん。「今はいろんなことに挑戦するとき」とその信念を語ってくれました。
そんな村谷さんから、周南市の子どもたちにメッセージをいただきました。
「もし、何か夢があるのなら、とりあえず挑戦してみること。挑戦しないと何も始まらないので、自分できっかけをつくることが大切だと思います。」
子どもたちへのアドバイスは村谷さん自身の経験から。思い切って一歩を踏み出し、夢へと歩み続ける村谷さん。この先、弾けるようなその眩しい笑顔は、今よりもっともっとたくさんのひとに愛されるに違いありません。
【これからのイベント出演予定!】
周南ふれあいフェスティバル
日時:2023年6月24日(土)10:00~16:00(村谷さんのトークショーは13:30~)
場所:イオンタウン周南 平面駐車場
8/4 TGC teen 2023 Summer
日時:2023年8月4日(金)
場所:国立代々木競技場 第二体育館
おたまじゃくしやありんこを探して遊んだ幼少期
村谷さんが生まれ育ったところは、のどかな景色が広がる自然いっぱいのエリア。当時住んでいたアパートの近くに公園はなく、遊び場はもっぱら家の近くの田んぼだったそう。しかし、遊びといっても、おたまじゃくし探しやありんこ探しなど。もちろん、あぜ道を駆け回ってもいたそうですが、生き物の観察がお気に入りだったようです。
「夕方5時になるとアパートに住んでいる子どもたちが家から出てきて、駐車場が広かったので、そこでみんなで遊んでいました。年の近い子が多くてとても楽しかったのを覚えています。いつも母親たちが一緒に出てきて、やさしく見守ってくれていた記憶もあります。」
家族でよく行ったのは周南緑地内にあるフレンドパークで、中でもよく遊んでいたのは滑り台だそう。「特に好きではなかったけど、そこにあったから滑ってました(笑)」と話してくれました。
やわらかな雰囲気をまといながらも、なかなかシュールな発言もする村谷さん。徳山動物園についてもユニークな回答が返ってきました。
「記憶にあるのは馬が威嚇し合っていたこと。なんだか人間っぽく見えて面白かったですね。それと、いつ行っても猿のお尻が赤かったのも覚えています。そういえば餌やりも楽しかった!」
思わずクスッと笑ってしまいそうになる、さすがの観察眼。子どもながらに周南市を思いっきり楽しんでいる様子も伝わってきます。
今でも忘れられない、食べられなかった給食の揚げパン
中学校での思い出を尋ねると、給食の話題に。当時、村谷さんだけでなく、子どもたちはみんな揚げパンが大好きだったそう。
「中学の頃、卒業を控えた3年生には給食のアンケートが取られるんです。『何が食べたいか?』って。その時、みんな揚げパンって書いたんですけど、待ちに待った揚げパンが出る日に学年閉鎖になっちゃって、結局食べられたのは1・2年生だけだったんです。揚げパンを食べられずに中学生活が終わってしまったことが今でも残念です。」
高校生からは弁当だったため、給食は中学校が最後。カレーライスも好きだったと話してくれましたが、揚げパンはよっぽど心残りだったのでしょう。実に可愛らしいエピソードです。
お肉大好き! 家族でよく行くのは「焼肉」
通常、部活を終えて帰宅すると20時を回ってしまうため、下校時に寄り道することはないという村谷さん。家族とはよく焼肉を食べに行くそうです。
「おじいちゃんもおばあちゃんもお肉が大好きなんです! 特に好きなのはカルビです。」
肉のおいしさについて語る村谷さん。つい先日も、TGC終わりに仲間と一緒に焼肉店に行ったそう。
「仕事がある時は、それまで食事制限などして体を整えます。でも、仕事が終わったあとは好きなものを爆食しようって決めてるんです。それが楽しみで頑張れているところもあります(笑)。」
このTGC終わりの焼肉店ですが、村谷さんはちょっとした珍事件も起こしています。
「スーツケースとバッグを持って入店したんですが、焼肉を堪能した後は満足したのか、手ぶらで店を出てしまいました。仲間たちに『荷物は?!』って指摘されて、慌てて取りに戻りました。ふだんからドジなんですが、これはさすがにまずいなって思いました。」
周南市の魅力は空気のおいしさ。お刺身もおいしい!
インタビューも終盤に差し掛かり、ここで村谷さんに周南市の魅力について聞いてみました。
「ミスコンでできた友だちや東京の仕事仲間には、『周南市は空気がおいしいところ』と言っています。思いつかないからとりあえずとかではなくて、私はたくさんある周南市の魅力の中でも、一番は空気のおいしさだと本当に思っています。人口や自然環境が関係しているんだと思いますが、東京と全く違うんです。私も外に出て初めて気づきました。」
ほかにも、東京に出て、周南市の刺身のおいしさに初めて気づいたそうです。
「お刺身はすっごくおいしい! でも周南市の友だちに話しても理解してもらえないんです。みんな周南市のお刺身のクオリティーが当たり前になっているから。でも、スーパーのお刺身やお寿司ですら、すごくおいしいってほかでは奇跡なんです。東京だったらこうはいかないですよ。」
今、村谷さんは周南市を離れて初めて気づいたその魅力を、いかに発信していくかを日々考えているのだとか。
「今の仕事ができているのは、周南市で育ったからだと思います。まちの穏やかさや自然の豊富さはもちろんですが、やさしい周南市のひとたちに囲まれて育ったから、今の私があるんです。だからこの周南市の良さを一人でも多くのひとに伝えることが、私にできる恩返しだと思っています。そのためには、たくさんのひとに私の存在を知ってもらうことが必要なので、もっともっとお仕事を頑張っていきたいです。」
最新トレンドを周南市に持ち込むのも大事な使命
村谷さんは、周南市の良さを発信するとともに、東京の最新トレンドを周南市に持ち込むのも、自分にしかできない大事な使命だと考えているそうです。
「東京で流行ったものが周南市に届くまで、どうしても時間がかかっているのが現状です。でも周南市と東京を行ったり来たりしている私なら、最新情報を得てリアルタイムに伝えることができるはず。そうすれば周南市はもっと楽しくなり、若者がもっと元気になると思っています。」
周南市でやりたいことの一つとして、「イベントなどでブースを構え、東京でふれた最新のものを紹介すること」と話してくれた村谷さん。「大好きなまちだからもっともっと元気にしたい」とその夢を語ってくれました。
いずれ拠点は東京に。でも周南市はいつまでも「帰る場所」
高校を卒業後、村谷さんは東京の大学へ進学を予定しています。それは仕事の拠点として考えたとき、ベストな場所だと考えているからだそう。
「もし家族が『心配だから一緒に東京に引っ越す』と言ってくれても、それはやめてほしいってお願いすると思います。周南市は私にとって『家』のような存在です。いつも安心できて、落ち着けて、癒される場所なんです。東京からの帰りの新幹線で田んぼが見えると、毎回すごくホッとするんです。だから、私の帰る場所はずっとずっと周南市がいいんです。そのために家族にはこの先も周南市に住み続けてもらいたいです。」
周南市を自身の「家」と表現する村谷さん。その真剣な表情から、周南市を大切に思う気持ちが伝わってきました。周南市が元気になるカギのひとつは、どうやら村谷さんが握っているようです。これからの彼女の活躍を見守っていきたいです。
記事:藤井 香織 / 写真:川上 優
執筆時期:2023年6月
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