島の豊かな自然と文化を次世代につなぎたい。大津島を盛り上げる立役者
1985年、埼玉県生まれ。県内の高校を卒業後、一般企業に就職。日本文化継承の一端を担いたいとの想いから、専門学校で空間デザインを学び、2008年にSIMPLICITYに入社。建築・内装設計部門のチーフデザイナー兼マネージャーとして従事した後、2017年に独立。拠点を東京から山口県周南市にある離島、大津島(おおづしま)に移す。大津島の文化を受け継ぎ、次の世代へとつなぐため、2018年に一般社団法人 磊ノ島を設立。2019年、自身のデザイン事務所である株式会社JIBIを設立。地域と共につくりあげるプロジェクトから海外の案件まで幅広い活動に携わる。プライベートでは一児のパパとして子育て奮闘中。
瀬戸内海に浮かぶ離島、大津島へ
新幹線「のぞみ」が停まるJR徳山駅から徳山港まで徒歩5分。そこからフェリーに乗って最短で20分。アクセスの良さを誇る周南市大津島は、瀬戸内海に浮かぶ小さな離島です。この島を舞台に活動しているのが、島内外のメンバーで構成される磊ノ島です。
磊ノ島についてお話する前に、大津島について少し触れたいと思います。
大津島は、山口県周南市の南西約10kmに浮かぶ細長い島です。面積約4.73㎢、周囲約20.9km。この小さな島では、第二次世界大戦末期に人間魚雷「回天」の訓練が行われました。今も全国で唯一、訓練に使用された基地の跡が残されており、全国から多くの人が訪れています。そこから歩いて10分の小高い丘の上には「回天記念館」があり、回天にまつわる遺品や写真、模型などの資料が展示してあります。島の一部は瀬戸内海国立公園に指定され、春は桜、夏は満点の星空と、季節ごとに違った表情が楽しめます。沖へ出れば、運が良ければスナメリの群れに遭遇することも。豊かな自然に恵まれた美しい島です。
島が抱える課題を解決するために
最盛期は3,000人を超えていたという大津島の人口は今では170人。そのうちの約8割が65歳以上の高齢者です。年々、地域を維持するためのマンパワーが不足し、環境保全、伝統芸能の継承、雇用の創出など、さまざまな課題を抱えています。
この島に息づく豊かな自然と語り継がれるべき歴史文化を次の世代につないでいきたい。使命感を胸に2018年に立ち上がったのが磊ノ島です。
東京から移住し、現在、磊ノ島の代表を務める松田さんは次のように語ります。
「かつて大津島は、良質な御影石が採掘され、採石場として栄えた歴史もあります。石が重なり合う様や、心が大きい様など、おおらかさを表す『磊』の字は、まさに大津島の歴史や島民の気質の象徴だと捉え、『磊ノ島』と名付けました。磊ノ島のコンセプトは『生きるを知る』です。離島という閉ざされた空間をポジティブに捉えれば、そこだけで完結できるという良い側面もあります。この島で、過去の知恵と今の知恵を結びつけ、未来に向けた暮らしを考えていく。自分たちがどう生きていくのかを知る場所にしていきたいという想いを込めました。」
島で唯一の食堂を再生
事業の手始めとして行ったのが、島で使われなくなっていた食堂の再生です。市から建物を借り受けて、2019年に「島食堂 ひなた」をオープンさせました。店名の「ひなた」には、島で一番陽があたる場所にあることから、自然と人々が集い、賑やかなお店になってほしいとの願いが込められています。
「島で唯一の食事処です。来島者が多い土日祝日だけでもゆっくり過ごせる場所を提供したいという思いから始めました。メニュー開発は島外のガーデンカフェ日日さんに協力していただきました。」
メニューは、島のすだいだいという柑橘で作ったジャムを隠し味に入れたチキンカレー、島の伝統料理をヒントにしたぶっかけ島うどん、すだいだいのシロップを入れたスカッシュなど、大津島の食文化を現代風にアレンジしたラインアップです。
↑大津島の食材を生かしたメニューが楽しめる「島食堂 ひなた」のチキンカレー
大津島発ブランド「SUDOMI」
2020年12月には大津島の島の恵みを活かしたブランド『SUDOMI(すどみ)』を立ち上げ、すだいだいを使ったクラフトビールやシロップなどの商品開発・販売を行っています。
「ブランド名の『SUDOMI』は、島一番の柑橘畑の持ち主である安達壽富(あだち すどみ)さんの名前にちなんだものです。すだいだいは、刺身にかけたり、正月飾りに使われたりと、島で古くから親しまれてきた柑橘です。1本の木に2代3代と続けて実をつけることから、子孫繁栄を呼ぶ縁起の良い柑橘として、家々の庭先に植えられてきました。しかし、こうした果樹は人の手が入らなくなれば荒れてしまいます。私たちはものづくりを通して、島の豊かな地域資源を守り、新たな雇用を生み出していきたいと思っています。」
今後は、柑橘を使ったジャムや島のサツマイモを使ったお菓子の開発も考えているそう。島の豊かな恵みを生かした特色あるものづくりに期待が膨らみます。
↑大津島産のすだいだいを使用した「すだいだいシロップ」と「すだいだいスカッシュ」
さまざまな活動を通じて島の魅力を発信し続ける磊ノ島。当初2人で立ち上げたメンバーは、今ではアルバイトや島外の理事も含めて20人の大所帯となりました。
「活動に共感した若者がメンバーに加わり、マンパワーが充実してきました。2020年4月には、『周南市大津島ふれあいセンター指定管理者』として管理・運営業務もスタート。2023年からは、人手不足が課題となっている巡航船の綱取り※の業務委託も請け負っています。」
高齢化、担い手不足が進む島を支えていく上での受け皿としても、活動の場が広がっていくことが期待されています。
※船を港に停泊させる際に、船と桟橋をつなぐロープを受け渡す仕事
未来を見据えた取り組みもスタート・森と海の豊かな循環を生み出す
「今後は環境に配慮した事業も手掛けていきたい」と語る松田さん。その第一歩として、森と海の循環を研究テーマにする海洋学者の協力のもと、島で塩づくりも始めています。
「同じ場所で海水をくんでも、月齢や季節によって塩の味は変わります。たとえば満月と新月では、ミネラルのバランスや塩分濃度に差が出て、塩にしたときの味わいに違いが出るんです。これが非常に面白いなと感じて、星の動きを記録するために塩づくりをしようと考えました。」
人は自然の一部、塩づくりの背景にある物語を届けたい。そんな想いが伝わってきます。
「研究機関や企業とタッグを組み、ゆくゆくは森の土壌を改良して、海に栄養分が流れ込むようにして、森と海の豊かさを取り戻したいと思っています。」
次世代モデルは離島にあり
島だけが良くなればいいわけではありません。松田さんはずっと遠くの未来を見つめています。
「島はいわば島国・日本の縮図。島で起きることは世界中のどこでも起きることだと思います。人口減少、少子高齢化、地球温暖化といったさまざまな社会課題に直面するなか、大津島で解決することが一つのモデルケースになるはず。ここでの暮らしや知恵が、日本の明るい未来を考える上でのヒントになるのではないかと考えています。今後も、さまざまな活動を通じて交流人口や関係人口を増やし、ゆくゆくは定住人口につなげていきたいと思っています。」
大津島というコンテンツが周南市にとって強みになるように、行政や企業と協力しながら、より良い循環を生み出したいと意気込む松田さん。やさしい眼差しの奥には、強い信念が秘められていました。
磊ノ島の代表を務める松田翔剛さん。2017年に東京から大津島に移住し、普段は空間デザインの仕事をしながら、島に息づく豊かな自然と文化を、次の世代につなぐためのさまざまな取り組みを行っています。松田さんに移住までの道のりや磊ノ島を立ち上げたきっかけなどをお聞きしました。
これまでの経緯をお聞かせください。
埼玉県で生まれ育ちました。母が器や民藝が好きだったため、小さい頃からそういったものを目にすることが多く、自然と日本文化に興味を覚えるようになりました。土や木などの自然物に人の手のぬくもりが宿っている、あの感じが好きだったのだと思います。
高校を卒業後、都内の一般企業に就職したのですが、ある日、山手線で通勤していたとき、窓の向こうにある新宿の景色がグレーに見えて、ショックを受けたんです。同じようなビルや人工物が並んでいて、どこにも日本らしさが感じられない。果たしてこの風景を次の世代にこのまま引き継いで良いのだろうかって。それを解決するためにはデザインの力が必要だと思いました。それに小さい頃から「いつか母親のために家を建てたい」という夢もあったので、前職を辞め、専門学校で空間デザインを学ぶことにしました。
専門学校を卒業後、先生の勧めもあって東京のデザイン事務所に入社しました。そこは「現代における日本の文化創造」というコンセプトのもと、食、茶、菓子、工芸、デザインと幅広い事業を通じて、日本の精神性に根ざしたものづくりを国内外に発信している会社でした。全ての万物が持つ陰と陽、神社の鳥居の連なりに象徴される連続性など、日本文化的な手法を現代に置き換えて昇華させるなかで、自然と向き合い、そこから享受して生まれたのが日本文化だと気づきました。
どうして離島を移住先に選ばれたのですか?
当時はまだ「地域創生」という言葉がそこまで浸透していなかった時代でしたが、地方が衰退していくのを黙って見ているわけにはいかないと、生きている責任みたいなものを感じていました。次の世代に「あの時代は良かった、あの時代があったから今の日本があるんだ」と誇りに思ってもらいたい。デザインの仕事をするなかでそういう気持ちが強くなっていったのだと思います。
当時は、職場と家を往復する毎日で、自然と向き合う時間はありませんでした。自然との距離感を取り戻し、日本文化を考えていきたい。そのためには環境をまるっきり変える必要がある。だから、移住するなら離島がベストだと思っていました。それに、昔から海が見える暮らしに憧れもあり、気候が温暖な西側に候補地を絞りました。そのうちの一つが大津島でした。
大津島を移住先に選んだ決め手は何だったのですか?
東京のデザイン事務所で初めて担当した物件が旅館でした。デザインするために宿のリサーチをしていたとき、大津島にある「小屋場 只只」の存在を知り、いつかこんな素敵な宿に泊まってみたいと思っていました。人生の最終目標として「自分で宿を開きたい」という想いもあったので、そういえば只只も離島にあったなと思い出して。調べてみたらたまたま求人が出ていたので「これは絶対に呼ばれている!」と感じて(笑)。実際に足を運んでみると、オーナーがとてもアツい方で、回天のことを涙ぐみながら語ってくださったり、石切場やガマの群生地を案内してくださったりと、記憶に残る1日を過ごしました。すぐに内定をいただき、大津島で働くつもりだったのですが、なかなか仕事を辞めることができなくて、計画は白紙になってしまいました。でも、東京に帰ってからも大津島のことが忘れられず、1年半経ってやっと移住にこぎつけました。
実際に大津島に移住してどうでしたか?
不思議なことに移住したその日の夜、祭りの夢を見たんです。それで「祭りをつくり上げていくんだ!」と勝手な目標を立ててしまいました(笑)。というのも、島に住んでいる人の8割が高齢者で、行事を存続させるのも困難な状態。初めて自治会の総会に参加したとき、「今年の夏祭りをするか否か多数決で決めよう」という話になりました。賛成したのは僕を含めて2人だけ。その瞬間に、今年の夏祭りは開催しないことが決まり、目の前で日本の文化が一つ消えたことに大きなショックを受けたんです。島では自分たちのことは自分たちでやるというスタンスですが、それだけではどうしてもマンパワーが不足してしまう。何かをやろうとしたときには、島外の協力者をつなぐ受け皿が必要だと思い、磊ノ島の設立を思い立ちました。
どのようにして地域に溶け込んでいったのですか?
大津島を存続させていくためには、島に息づく文化を守り伝えていくアーカイブ的な側面と、発展するために新しく何かをつくっていく側面の2つが必要だと思っていました。でも、具体的に何をすれば良いか分からず、とにかくここに身を置いてみようと思って、地域の草刈りや行事などに積極的に参加しました。活動を通じて島内外の人とつながり、島の歴史や行事、文化を知り、たくさんのことを教わりました。磊ノ島を立ち上げてからは「島食堂 ひなた」の再生、「周南市大津島ふれあいセンター」の指定管理業務、柑橘ブランド「SUDOMI」の開発など、少しずつ実積を積み重ねるうちに、思いに共感して「協力するよ」と言ってくださる方が増えていきました。
ここからは妻の有美さんも加わり、島での暮らしぶりや魅力を語っていただきました。
島での暮らしはいかがですか?
有美さん:とても良いです! 夏はカエルの合唱、秋は鈴虫の鳴き声を聞きながら眠りにつけるのがとても贅沢。きっと眠りの質も良いだろうと思います。鳥がさえずる中でお昼寝をしている息子の寝顔を見るのが幸せな瞬間です。とても穏やかな気持ちで過ごせているので、移住して良かったなと思います。
翔剛さん:植物の営み、冬と夏の太陽の日射角度の違いなど、季節の移り変わりを実感できるようになりました。自然だけでなく、人との距離感も近くなりました。移住して1カ月が経った頃、島外で仕事をして船で帰ってきたときに、島の人に「おかえり!」と言われて、嬉しくて涙が出たのを覚えています。島全体が家族のような感じですね。
有美さん:近所の方の立ち話に参加させてもらったり、自然との付き合い方を教えてもらったりと、学ぶことも多いですね。自然が近くにあるので、子どもをのびのびと遊ばせることもできます。島の人々に我が子の成長を温かく見守っていただけるので、すごく安心感があります。
翔剛さん:移住してすぐ、野菜でも買おうかなと思ってJAに足を運びました。店に入ってみると、ティッシュなどの生活用品はあるのですが、野菜が見当たらない。お店の人に「野菜は?」と聞いて、指を差された先にあったのが野菜のタネ。思わず「ここから?」と口にしてしまいました(笑)。島では、野菜は買うものではなく、自宅で育てるものなんですよね。
有美さん:意外と不便ではないです。徳山港から大津島へは1日7便の巡航船が就航し、島内にある4カ所の港を経由しています。船に乗れば30分で徳山に着きますし、週に1度は移動販売車も回ってくるので、暮らす上で特に困ったことはないですね。ただ、島内に保育施設がないので、子育てをする上ではまだまだ環境に改善が必要だと思います。
翔剛さん:大津島は全国で2番目に新幹線口からの距離が近い離島です。デザイナーという職業柄、全国各地や海外に行くことも多いので、交通アクセスの良さには助けられています。離島でありながら利便性が高い大津島は、都会からの移住先としてもおすすめ。ぜひ、その目で大津島の魅力を確かめてください!
島での暮らしを楽しみ、地域にすっかり溶け込んでいる様子のお二人。自然と向き合い、社会課題と向き合おうとする強い意思が、島の明るい未来をはぐくむのだと感じました。
磊ノ島
JIBI
記事:小野理枝/写真:川上 優
執筆時期:2025年1月
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