人と自然が調和する周南市大島で今を楽しみたい!
1955年、鹿児島県大島郡徳之島生まれ。15歳のとき、神奈川県横須賀市にある陸上自衛隊高等工科学校へ入校。3年間、陸上自衛官に必要な基礎教育を受ける。卒業後、陸上自衛官として東京をはじめ大阪・沖縄・北海道などの駐屯地に配属された後、55歳で定年退官。山口県下松市で再就職後、57歳のときに周南市大島(鼓南地区)へ移住。「鼓南なんでもやろう会」のメンバーの一人として、さまざまな地域活動を行う。一級船舶免許取得。防災士、第一種衛生管理者などの国家資格を保有。家族は、妻の英子さん、愛犬のハブ。趣味は畑仕事と釣り。
今回訪れたのは、周南市の東南部に位置する大島半島。街なかから比較的近い場所にありながらすぐそばに海も山もある、豊かな自然に恵まれた地域です。
県道170号線の栗屋橋を過ぎれば、信号ひとつない快適なドライブコース。左手に海を見ながら車を走らせると、半島の中央部のくびれた部分に集落が見えてきます。この地に11年前に移住してきたのが吉岡さん夫妻です。
瀬戸内の美しい自然と穏やかな気候に惹かれて
民家の間をぬって細い坂道を上っていくと、眼下にキラキラと揺れながら光る湾、その向こうにはなだらかな山々が見えます。葉の茂る大きな梅の木の下で出迎えてくれたのは夫の利則さん。麦わら帽子の下で日に焼けた笑顔が輝いています。
利則さんは元陸上自衛官。パイロットとして各地を飛び回る中、以前から気候が穏やかで景色の美しい瀬戸内海沿岸に住みたいと思っていたそう。そこで、定年を機に移住を決意。妻の英子さんの実家がある山口県下松市を本拠地に各地を巡り、最終的に選んだのがここ周南市大島でした。
「山を背景にくるりと小さな湾を抱くこの集落を見たときに『ここだ!』と直感しました。畑仕事も釣りも思う存分できる、まさに私の趣味にぴったりな環境です。」
周南市大島で見つけた人生の新たな楽しみ方
利則さんは畑仕事や釣り、英子さんはサークル活動を楽しみながら、徐々に地域に溶け込んでいったそう。そして移住して2年目、利則さんは、地域の人に誘われて「鼓南なんでもやろう会」に入会します。
「鼓南なんでもやろう会」は2000年に発足した鼓南地区※1の市民活動グループ。旧徳山市が行った環境創生21プラン事業推進に参加したことをきっかけに、自然と共生する住みよい地区づくりを目指して、市民が主体となってさまざまな活動に取り組んでいます。
現在、会員は50〜80代の13名。活動日は、毎月第2土曜の定例会を含めて年間およそ30回。主な活動内容は、荒廃した竹林の整備、竹炭・竹酢液・EMぼかし肥料※2の製造などです。竹炭や竹酢液は8月の「鼓南ふれあい夏祭り」や11月の「鼓南ふれあい文化祭」などのイベント時に販売。EMぼかし肥料は毎年すぐに完売するほどの人気ぶりです。
「とにかく会員のみなさんが元気で意欲的!足腰が弱っても『気力まで失いたくないから』と言って、大きな孟宗竹を引っ張り出している姿を見て、元気の秘訣は『動くこと』だと痛感。自分もこんな風に歳を重ねていきたいと思いましたね。」
※1 周南市大島半島の南部と粭島(すくもじま)を総称した地区
※2 米ぬかや油かすなどの有機物資材に山土や粘土、もみ殻を混ぜて発酵させた肥料
地域に役立つことは「なんでも」取り組む
もう一つ、グループが力を入れているのがサツマイモの栽培です。利則さんは、地域の子どもたちから「いもじい」と呼ばれているのだとか。地域の子どもたちと一緒に苗を植え、収穫したサツマイモは「鼓南ふれあい文化祭」や白鳩学園の文化祭などで焼き芋として販売しています。
「本当に“なんでもやろう”なんですよ。地区の行事のお手伝いや登山道の美化作業、鼓南小・中学校のコミュニティ・スクールの活動支援など、地域内外とつながりを持ちながら活動しています。イベントに参加する人がどうやったら喜ぶかなと考えながら準備するのも楽しいし、片付けをしながら次はこう改良しようと考えるのも楽しい。人々の役に立てるなら、こんなに嬉しいことはありません。」
移住して11年。もともと周南市に縁もゆかりもなかった利則さんですが、今では地域になくてはならない存在のよう。イキイキと語るその横顔からは、心から裏方を楽しんでいる様子が伝わってきます。
伝統行事を絶やしたくない強い思い
鼓南地区では、大島神社の盆踊りや神踊りなど、地域の伝統行事が今もなお続いています。しかし、人口減少や高齢化に伴い、継続は困難になりつつあります。
「私が移住してきた頃は、鼓南地区の住民は1,200人くらいでしたが、今は800人まで減っています。『鼓南なんでもやろう会』のメンバーも年々減ってきています。数年前からは周南公立大学や日本精蝋など外部の力を借りて祭りを維持している状況です。毎年祭りを楽しみに帰省する人たちのためにも、なんとか続けていきたいと思っています。」
地域の伝統行事を守り続ける。そのためには新たな担い手が必要です。
「実は今年、移住者が増える予定なんですよ。特にこの辺りは子どもが減ってきているので、若い世帯が増えてくれれば嬉しいですね。地域を一緒に盛り上げる「鼓南なんでもやろう会」のメンバーも募集中です!」
美しい海と山、古くから続く伝統行事…みなさんも魅力たっぷりの周南市大島にぜひ足を運んでみてください!
周南市大島に移住して11年。あっという間だったと語る吉岡さん夫妻。移住の決め手や地域の魅力、今後の課題などを聞いてみました。
長寿と子宝の島、鹿児島県徳之島出身
夫の利則さんは、鹿児島県と沖縄の間に浮かぶ奄美群島のほぼ中央にある徳之島の出身。手つかずの大自然や透き通ったコバルトブルーの海、闘牛などの独自の島文化が今も残る希少な島です。長寿と子宝の島としても有名で、さとうきび栽培もとても盛んです。利則さんはこの地でさとうきび栽培を行う農家の三男として生まれ育ちました。
「当時は草刈りやさとうきびの刈入れなどはすべて手作業。忙しい時期は隣近所で “結(ゆい)”をつくって人海戦術で乗り切っていました。来る日も来る日も、両親が汗や泥にまみれて働く姿を見て育ったので、家業を手伝うのは当たり前という感覚でした。」
自衛隊のパイロットとして各地で活躍
利則さんの兄弟は4人。既に上の2人が大学や高校に通っていたため「これ以上親に苦労はかけられない」と、「陸上自衛隊高等工科学校」への入校を決意。中学を卒業後3年間、親元から遠く離れた神奈川県横須賀市で、勉学に励みながら陸上自衛官になるための基礎的な訓練を受けました。
卒業後、晴れて陸上自衛官としての道を歩み始めた利則さん。東京をはじめ大阪、沖縄、札幌など、全国の駐屯地を異動しました。
「大阪で妻と知り合い結婚、2人の子どもにも恵まれました。大阪で16年間過ごした後、緊急患者空輸の任務があると聞き、沖縄への転勤を希望。パイロットとして、離島の診療所で対応できない急病人やけが人を、沖縄本島や鹿児島などの病院へ迅速に搬送する任務に就きました。緊急患者はいつどこで発生するのかわかりません。悪天候や夜中など厳しい状況下であることもしばしば。ともすれば危険と隣あわせの状況でしたが、離島住民の命綱として働けるという達成感はとても大きかったですね。」
第二の人生を謳歌するための場所探し
人々の安心・安全を守る。強い使命感を持って任務を全うした吉岡さん。55歳で定年退官を迎えたのを機に、第二の人生を送るための定住先を探し始めました。
「仕事上、天気を調べるのが日課だったので、移住するなら晴れの日が多く、日中に活動しやすい地域がいいなと思っていました。セスナ機を操縦しながら各地を眺めていたところ、ピンときたのが瀬戸内地方。島々がぽつぽつと浮かんでいて、遠浅の海岸では水面が鏡のようになる。景色の変化があって、気候が穏やか。こんな所に住んでみたいという憧れがありましたね。」
季節の移ろいを身近に感じる暮らし
瀬戸内にターゲットを絞り、本格的に家探しを始めた吉岡さん。妻の英子さんの実家がある山口県下松市を本拠地に、広島県、岡山県、香川県、愛媛県などを1年かけてめぐり、最後に辿りついたのが山口県周南市大島でした。家は空き家バンクで検索。築38年の平屋を手に入れました。
利則さんは「すぐそばに海も山もある、天国のような場所」と言い切ります。
「梅の花が咲く頃はウグイス、春はヤマザクラ、秋は紅葉に鈴虫やコオロギの鳴き声など、窓の外の景色や生き物の鳴き声で季節の変わり目を知ります。そういうことって都会に住んでいた頃は一度もなかったなと思うんです。」
お気に入りのスポットも教えてくださいました。
「裏の山の上にある獅子岩は絶好のビューポイント。天気の良いときは大分の由布岳まで見えるんですよ。」
恵まれた自然を活かして趣味に没頭
都会暮らしが長かったお二人。「田舎暮らしは何かと大変なのでは?」と聞くと、「住めば都です」と即答。利則さんは畑仕事や魚釣り、英子さんはヨガや太極拳などのサークル活動と、お互いに思い思いの時間を過ごしています。
「農業は奥が深い。隣の畑の人から教わったり、図書館やインターネットで調べたりするのですが、思ったようにはいきません。やってみないとわからないことだらけ。百姓は毎年一年生です。野菜は草と一緒に植えているんです。というか、競争させた方が色ツヤと味がいいかなと思って。どちらかというと草の方の勢いが強いですが(笑)。それでも、自分の畑でつくった野菜の味は格別ですね。」
朗らかに語る口調からは、手間ひますらも楽しくて仕方ないという様子が伝わってきます。
畑仕事の相棒は愛犬のハブ。8年前に徳之島の実家から引き取って以来すっかり家族の一員です。
「山が近いので毎晩のようにイノシシがやってきます。でも、ハブが吠えて追い払ってくれるので、畑を荒らされることが少なくて助かっています。」
とはいえ、田舎暮らしに慣れないこともあったそうで、「夜サンダルをはいて外に出て、マムシに噛まれたこともあります」と苦笑い。
趣味の釣りも思う存分楽しんでいる様子です。
「自衛隊時代、自己啓発の一環として免許取得の機会をいろいろ与えてもらったのですが、一番役に立っているのが一級船舶免許。漁師を引退した人から譲り受けた漁船で魚釣りを楽しんでいます。笠戸湾では大きなブリをはじめ青魚がよくとれるんですよ。釣った魚は晩ご飯のおかずになるし、アラは畑の肥料になるので一石二鳥です。」
人とのつながりが人生を豊かにする
以前は、職場以外の人との付き合いは希薄だったいう吉岡さん夫妻。自治会に入り、さまざまな地域行事に参加するうちに、顔見知りが増えていきました。
「引っ越して間もない頃、近所の人が通りがけにタマネギをくださったんですよ。ビックリですよね。こちらが恐縮するくらい世話好きで気さくな人が多いんです。散歩の途中にすれ違う人々と交わす挨拶、ご近所さんとの何気ない会話が楽しい。会えば天気の話にはじまり、畑仕事や健康管理の話など、気づけば30分以上経っていることもあります(笑)。」
人とのつながりが生まれ、だんだんと心が満たされていく。聞いているこちらまであったかい気持ちになります。
人の役に立つことが生きがいに
9年前、利則さんは「鼓南なんでもやろう会」に入会。地域の人々とともに、荒廃した竹林の整備やイベントのお手伝い、登山道の清掃など、さまざまな活動を行っています。以前は、高齢者や子育て世帯のお困り事を解決する「お助け隊」や「鼓南をよくする会」にも所属して、草刈りや剪定のお手伝いにも出かけていたとか。とにかく頼まれると嫌とは言えないタイプ。利則さんを突き動かしているのは「人々の役に立っている」という充実感のようです。
うまくやっていくコツは今を楽しむこと
最後に、移住を希望される方へのアドバイスをお聞きしました。
「うまくやろうとして、肩に力を入れたり、身構えたりしないこと。“楽しもう”というくらいの軽い気持ちでいるほうが何事も長く続くと思います。それに、将来の苦労を心配して、今の楽しいことを犠牲にする必要はありません。体が動かなくなったらそのときまた考えればいい。今を全力で楽しみたいと思っています。」
ここはやろうと思えばなんでもできる夢の楽園。近い将来、吉岡さん夫妻に続いて、新たな移住者が増えることを祈っています!